歴史・由緒

ご祭神: 大御饌津彦命 (おおみけつひこのみこと)

天児雲根命(あめのこやねのみこと)の御子である天忍雲根神(あめのおしくもねのかみ)の別称で、古来より食と農業の神として広く崇敬されています。

創祀の年代等は不詳だが西暦770年には祭祀が行われていた。平安時代の延長5年(927年)に編纂された、日本全国の神社を網羅した「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)」には、船井郡の「名神大社」として記載されており、格式高い式内社です。

承暦3年(1079年)には白河天皇の行幸があり、神事や祭礼が旧に復され、「船井第一麻氣大社」の勅額を賜り、その社号が宣下されました。

江戸時代には園部藩主・小出氏の祈願所として尊崇され、社殿などすべての建物は官費により維持されていましたが、宝暦11年(1762年)に不幸にも火災により全焼。その後、明和4年(1767年)、時の藩主・小出英持公によりすべての建物が再建され、現在に至ります。

大正5年(1916年)3月には府社に列せられ、神域は広く、摩氣郷十一ヶ村の総社として人々の厚い信仰を集めてきました。なお、「摩氣(まけ)」という郷名は、御祭神「みけ」から起こり、転音して「まけ」となったものです。

毎年6月には御田植祭が斎行され、10月の例祭である神幸祭では練り、角力(すもう)、流鏑馬(やぶさめ)など、由緒ある神事が盛大に行われています。

また、茅葺きの覆屋内に鎮座する本殿・東摂社・西摂社は京都府指定文化財に指定されており、境内は「京都府文化財環境保全地区」にも指定されています。その風情ある景観から、時代劇のロケ地としてもしばしば使用されています。

(一) 神域(境内) 一六〇〇坪
京都府文化財環境保全地区(昭和59年[1984]指定)

(二) 建造物
京都府文化財保護建造物(昭和59年4月指定)
 本殿一 三間社流造り 明和4年(1967)8月再建
 摂社二 三間及び二間社流造り 明和4年(1967)8月再建
京都府登録文化財(昭和59年4月指定)
 絵馬舎 明和4年(1967)8月再建
 神門一 文化五年(1808)再建
 石造大鳥居一 寛文十二年(1672年)

≪摩氣神社の摂社≫
東西の摂社には向かって右より、菅原大神(宍人)、大森大神(半田)、菅原大神(半田)、熊野大神(黒田)、加茂大神(城南)、三輪大神(上横田)、若宮大神(下横田)、月読大神(志和賀)、向かって左より葛城大神(京丹波町八田)、八幡大神(船阪)八幡大神(西山)、八幡大神(大坪)、蛭子大神(仁江)、山王大神(胡麻)を祀っているのである。
志和賀村は現日吉町である。